「「研究を聴く」 —木下賢吾教授—」- 木下・大林研究室 研究紹介

「研究を聴く」 —木下賢吾教授—

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刻限を気にしながら教授室の戸を叩いた。午後の暑い空気の中取材を始める。

 

———研究は期間が決まっているのですか。

研究者からすれば新鮮な質問だという。期間というより、研究計画と使える研究費が基準である。当然ながら、実際に研究してみたら意外な結果が生じることもある。

そもそも研究者は種々の研究所にいる白衣の人物で、私たちが普通考える教授はすなわち先生という印象がありはしないか。大学は学生が勉強をしに行く場所であって、そこで日々研究が行われ、教授はまた研究者であるという認識を何の抵抗もなく了解しているのは、実は理系の学生のほかは少ないのかもしれない。

 

少々汗ばみながらの初歩的かつ現実的なやりとりは、率直な感覚をそのままに、木下教授の授業の話へと向かう。

 

担当している授業や、研究との関わりを尋ねてみようか。質問を拵えかけたのだが、「授業って意味あると思う?」と思わぬところで先を越されてしまった。私の頭は戸惑いつつ大学時代を思い返す。

いや、確かに楽しい授業があった。専門外の教科の入門や、文学の作品分析に取り組んだ授業。自分の知見を切り開くような、新しい視点や考え方を得た講義は魅力的だった。比べて教師が延々と条文や規則を読み上げ、学生は黙りこくって聞いているような時間は、教科書を放り投げて昼寝をしたくなるものだったことも、対になる感想としてふと思い浮かべた。

二十年ほど前、大学の先生方には律儀から程遠い人もいたようだ。大学の理学部で最初の授業は先生が遅れて登場、感覚の違いは強烈だった。書物にあるような知識は自分で学ぶのが当たり前。背景はもちろん今とは違うが、教科書の知識を一通り伝えるだけなら、一律に学生を椅子に座らせなくても、と木下教授は考える。人によって学習のペースは違って、理解がとんとんと進むことも、一年必要なこともある、と。

 

———決められた一律の内容ではなく、これという授業ができるとしたら?

少し前から効き始めた冷房のおかげで、私は少々冴えてきていた。

 

前任者から引き継いだ授業は、しばらく葛藤が続いたという。生命と情報分野を絡めるならアルゴリズムを教えようか、教えたところで学生の糧になるのか、いやそもそも学生が何を考えているのか。たどり着いたのは、ゲノムを通じて「考え方」を掴ませる授業だ。

なぜ工学部の学生にこのような「生物っぽい」話しをするのかといえば、ゲノムを通じて多様性を学ぶことができるからだ。

かつて小学校で検査があった色覚異常(色盲)。差別につながりかねないとの声から一度廃止され、現在は生徒の同意を得て個別に実施する体制がとられる。「異常というより、ゲノムから読み取ることのできる多様性のひとつだと思うけどね」。確かに、他人の色の見え方はその人にしかわからない。色の見え方が少ない人も、逆に多い人も存在する。

続いてカラーユニバーサルデザインの話題が顔を出す。東京メトロの路線マークは赤や緑の円だけだったのが、今では円の中に路線名の頭文字が入っている。案内を見るのに、それが誰かにとって見えにくい案内では困る——私はゲノムという言葉に急に近づいた感覚を覚えた。「身近じゃないと考えもしない」。教授の一言が腑に落ちる。

より良い遺伝子の個体を選びとることと多様性。生命倫理や医療と絡んで延々と頭を抱えそうなテーマと相性が良いのが、実はポケモンのゲームらしい。ピアノを弾きお習字にいそしむ子ども時代を過ごした筆者は、周りで流行っていたゲームは意外に残酷なのだろうかと、僅かな戸惑いを覚えた。

ゲームではかけあわせをして、強いポケモンを選ぶ。知らない間に、個体を選択する「圧力」が生じているのだ。ゲームを進めていく時間のような、短いスパンでの圧力は高い。反対に現実の人間の世界では、強くない個体だからと排除されることはほとんど無く、選びとる圧力はずっと弱まる。すぐに強くなる必要のある淘汰の厳しい世界では、多くの個体をもとに二代三代かけて環境に適応するような多様性が育まれにくいということだ。身近な素材を糸口に、生命システム情報学の授業が進む。

 

一度深みにはまってしまおう。

木下教授はゲノムやその変異を知ることの意味を問いかける。ヒトゲノム(=人間の生命情報)は大部分が共通で、個体差は0.1%。その中に、遺伝子の問題はいくらでも存在するのだ。健常者などといっても、実際は線引きができたものではない。学生の反応を引き出す素材として二つの映画を選んだ。

難病の子のために治療薬の開発に挑んだ実話がモデルの「小さな命が呼ぶとき」。遺伝子操作が行われ、優秀な個体がエリートとして扱われる世界のSF映画「ガタカ」。ここで学生に課される「努力と才能について」などの問題は、曖昧な感情で語る課題ではなくなってくる。

治療薬の開発……医療とお金の関係は「避けられない社会問題」と語る。患者数が少なく、単純計算で一人当たり10億円の開発費がかかるとしたら。額が大きいほど、「生きるための値段」という現実が凄みを増す。日本における健康保険の制度は、社会がどう考えるか、のひとつの答えだ。また、厚労省が指定した難病では一定の支援が受けられる。制度の存在に救われた気がしたのも束の間、昨夏に取材に応じてくれた、幼い兄弟を難病で亡くした夫婦を思い出す。治療のためには渡米し、億単位の費用で臓器移植を受けるしかなかった。

 

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開発研究ではなく、分野の基礎となる部分を研究している。「誰も知らないことを見出すのが研究」。学ぶ段階では、黙々と知識を得るだけでなく「考えるきっかけ」を見つけてくれればと願う。授業をするうえでの葛藤は、「授業をやる以上、ここでしか学べないこと」を教える工夫となり、今に至る。

 

予定の時間より長くなったインタビューを終え、私は「考えるための授業」を受けたような心待ちで席を立った。教授は猫好きだそうで、ドアノブのうえには猫のシルエットのシールが貼ってある。挨拶をし、すっかり涼しく快適になった教授室を出た。

 

2015.7.7

(文・山口史津)

 

 

 

 

木下賢吾(きのしたけんご)

理学博士。京都大学理学部、同大学大学院理学研究科修了。科学技術振興事業団、理化学研究所研究員などを経て、2004年大阪大学蛋白研究所産官学連携研究員、客員助教授。同年10月から東京大学医科学研究所助教授。2009年から現職、2010年からは東北大学加齢医学研究所教授を兼務。2012年に「情報科学的アプローチによる機能未知遺伝子の機能予測法の開発」で日本学術振興会賞を受賞している。

 

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