「終わりに」- 木下・大林研究室 研究紹介

終わりに

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5月にスタートしたインタビュー「研究を聴く」は、今月で終了させていただくことになりました。今後筆者は新聞社での勤務を始めます。僅かばかりの理解力で綴った拙稿ですが、木下・大林研究室の様子や情報科学のいくつかの分野について、興味を持つきっかけになれば幸いです。

また、インタビューに応じてくださった5人の先生方、オープンキャンパス取材の際はラボの学部生・院生、他研究室の院生、来場していた高校生の皆さんにはこの場を借りて感謝申し上げます。

 

 

国文学を齧った学生だった筆者にとって、ゲノムやタンパク質の研究はまさに未知の分野といえます。私の「知る」は高度に専門的な研究の深い理解ではなく、慣れない専門用語がひしめく世界に一歩足を踏み入れるそれでした。この立ち位置からの取材だからこそ、研究室の外の——他の分野を学んできた方や、これから進路を定める高校生に親しみをもってもらうことを第一義に、対話と推敲を重ねようと努めた五ヶ月です。

相手のあることは、会話をしてみなければ何が出てくるか分からないのが実際です。一つの研究室内のインタビューと括ることが難しい程に、各回毎に印象的な主題(とも言える教授陣一人ひとりの興味や考え方)を受け取りました。それらを正確に汲み取れたのか、或いは読者にいかに届いているのかは、私の判断出来る埒内ではありません。

記事に載せきれなかった内容で私が驚いたものに、「既存の薬などで、ある症状に効くことはわかっていても何故効くのかが判明していないものもあり、基礎研究ではそれを調べることがある」という話がありました。完全に逆だとばかり思っていたことです(有名な例としてはサリドマイドの原因究明)。感染症の特効薬を急いで開発したり、機械の動きを大幅に速めたり、分かりやすく社会に役立つ応用研究は屹度多いでしょう。しかしその研究の前提となっていた知識や成果が、訂正されるべきものだったとしたら。基礎研究はすぐさま実用化されるわけではありませんが、応用研究の土台として密接に関わり支えています。「役立つ」「役立たない」で簡単に学問を断じることは出来ないと感じた瞬間でした。

7月に公開した教授の話の中で、講義の工夫の理由が「ゲノムを通じて多様性を学ぶことができるから」だというくだりがあります。研究は時に精神的な課題に直結します。色盲の検査は差別の遠因になるのではという、ある種狭量な恐れ(或いは差別の経験)により一斉実施ではなくなりました。ですが遺伝情報を学び人の色の見え方は何種類もあるのだと了解すれば、色覚の多寡など個体差の一つに過ぎない事実となります。恐れの入り込む余地は、本来なかったのかも知れません。

しかし突き進む遺伝子技術を利用していくには、恐れも信頼も持ち合わせている必要がありそうなのです。「遺伝情報を読むこと」について考えることになった取材では、ともすれば悩み続けてしまいそうな倫理的問題を知りました。「正しく知り、正しく恐れる」。無限に怖がっても、将来医療で関わる問題から目を逸らし続けても最善の判断には辿り着かない、筆者はその点に「難しさ」を見出しているところです。

 

 

取材と推敲を二周三周と行い、情報科学の研究が内包する課題をもっと多く、噛み砕いた言葉で投げかけてみたかったと少々惜しくなります。

そしてここで書いた一連の記事が、これからも誰かの興味に繋がることを願っています。

短い間でしたが、ありがとうございました。

 

 

2015.9.30

山口史津

 

 

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