「「研究を聴く」 —山田和範助教—」- 木下・大林研究室 研究紹介

「研究を聴く」 —山田和範助教—

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東京大学大学院、産業技術総合研究所を経て今春から赴任した東北では、これまでより自由な研究の環境が待っていた。

 

厳しい制約が課されていない環境は、研究職として残っていくには良いのだという。就職活動などの際には、教員からある程度の方向性を示された研究をしている方が楽ではある。しかし、「向いている研究をアカデミックなところで」深めたい山田和範助教にとって、魅力的に感じるのはやはり前者だ。

 

研究テーマは今まさに迷っている。タンパク質の配列解析を続けるのか、薬とタンパク質の研究に取り組むか、あるいはゲノム系の内容がその候補だ。高校生は進学先で悩むかもしれないし、大学生は卒論のテーマを決めかねることもあるだろう。研究者にもその先の選択がある。

 

みんなが使える基礎研究に取り組んで、研究で日本を明るくしたい。選択を考える根っこともいえる思いは、彼が育った時代背景と結びついている。

 

82年生まれで、研究生活は現在3年目だ。物心ついた頃、日本経済はバブルの只中にあった。家でも社会でも、今とは違う明るさや活気を肌で感じていた。バブルといわれる期間は86年から91年。思春期に「如実に社会の雰囲気が悪くなった」。

 

「研究で日本を良くしたい」と話すと、むしろ政治をやったらいいんじゃないのか、と言われることもある。しかし社会を良くする後押しができるのは、政治だけではないはずだ。海外の研究が経済を勢いづかせる例も意識している。2000年代のIT革命は、技術に長けているが資源に乏しい日本こそが牽引すべきだったのでは、と感じている。

 

薬学部出身。博士課程ではインフルエンザの研究に取り組んだ。やはり薬に関連する研究に取り組みたいとの思いがある。だが、学生時代にアルバイトで薬剤師の仕事を目にし、薬剤師は目指さないことにした。子どもの薬の量を調節したり、医師からの飲み合わせの質問に答えたりなど、薬学の知識を発揮できる機会は思いの外少ないらしい。

 

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今秋からは学生への講義も始まる。東北大学のSGU(Super Global University)の取り組みのもと、同大学への留学生の授業を担当する。講義に先立ち、7月末から十日余りアメリカの大学を訪れ、発表や研究室(ラボ)の見学に参加した。

 

木下研究室のように、自由さとオープンさを兼ね備えているのが「普通」だったのが現地での印象だ。「向こうでは木下研究室がごろごろある感じ」。振り返って東京と仙台の研究生活では、自由度が高く且つ放任されすぎない研究室を探すのは難しかった。

 

学生の幅の広さ、研究者の多様さも記憶に残った。米では学位、特に博士号を取得していることは非常に重要視される。しかし日本と違い、いわゆる新卒の年齢であることは求められない。37歳だという博士課程の学生とも出会った。また門戸が広い面もあり、米出身ではないであろう中国人やトルコ人が教授として研究室を持っていた。「入っていくには良い」環境だ。

 

ただし、何もかも自由で良いというわけではない。見学した中で、二人の学生の研究テーマが重複しているケースがあった。重複させずに近い内容で取り組むなど、学生の配分は工夫出来たはず、というのが正直なところだ。自分が研究室を運営するとしたら、自由を尊重しつつ適切な軌道修正でバランスを取りたい考えだ。

 

時折日本食が恋しくなったが、国外の研究の環境に触れ、今後共同研究の可能性も意識できる経験となった。また機会があれば、課題に感じた英語の聞き取りを鍛え臨みたいという。

 

どこかアメリカらしい印象の研究室で、山田助教の研究や授業の模索は続く。ラボを探すのに、そこで扱われている研究はもとより、探究心をいかんなく発揮できる場所かどうかの視点も、重要なのかもしれない。

 

2015.9.25

(文・山口史津)

 

 

 

 

 

山田和範 (やまだかずのり)

東京大学大学院にてウイルス学を専攻。博士課程の後半からはバイオインフォマ ティクスに取り組み、博士号を取得。

その後、理化学研究所ジュニアリサーチアソシエイト (2010-2012)、産業技術総合研究所特別研究員(2012-2015)を経て、2015年4月から現職。

これまでに行った研究の和文の総説として、「遠縁タンパク質検索に適した新規アミノ酸置換行列」 (「生物物理」55(3):133-136, 2015) がある。

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